• 2020年9月20日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き5章1節~11節】
    5:1 ところが、アナニアという人は、妻のサッピラとともに土地を売り、
    5:2 妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
    5:3 すると、ペテロは言った。「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。
    5:4 売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
    5:5 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。これを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。
    5:6 若者たちは立ち上がって彼のからだを包み、運び出して葬った。
    5:7 さて、三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。
    5:8 ペテロは彼女に言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。私に言いなさい。」彼女は「はい、その値段です」と言った。
    5:9 そこでペテロは彼女に言った。「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちの足が戸口まで来ている。彼らがあなたを運び出すことになる。」
    5:10 すると、即座に彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えた。入って来た若者たちは、彼女が死んでいるのを見て運び出し、夫のそばに葬った。
    5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。

    ◎メッセージ【アナニアとサッピラ】
    《エルサレム教会は、アッという間に大きくなり、その為多くの費用が必要となりました。『さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。』と、ルカが初代教会について証しています。一見しますと、これはとても麗しい光景に見えますが、実は経済的には、まったく生産性がなく、金持ちが資金を売って食いつなぐだけなのです。
     また現在、多くの教会で行なわれているように初代教会においても、大口献金者が発表されたと伝えられています。このような教会のあり方に対して、不安と疑問を持つ人たちも存在していたのです。そんな背景の中に「アナニアとサッピラ」の事件が起こったのです。
     この夫婦が何時、仲間に加えられたのかは特定できませんが、おそらくペンテコステの日であるとするのが、一番妥当と言えそうです。この夫婦は大金持ちでした。アナニアとは、「主は恵み深い」を意味する名前で、サッピラとは、「美しい」という意味の名前です。
    「アナニアという人は、妻のサッピラと共に土地を売り、妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」とあります。時刻はおそらく朝の9時です。当時、彼らは、朝9時と昼12時そして午後3時、ユダヤ人が宮において祈りを捧げる時間に、集まって聖餐式と祈りを持っていたのです。
     ペテロに、なぜそのことが分かったのかと言いますと、聖霊が教えたのです。
    「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
     この言葉を聞くと、アナニアはショック死を起こします。
     それから3時間後に妻のサッピラがやって来ます。彼女は夫の死をまだ知りません。
    「あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。私に言いなさい。」
    「はい、その値段です」
    「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちの足が戸口まで来ている。彼らがあなたを運び出すことになる。」
     すると、即座に彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えるのです。多くの解釈は、罪を犯した為に、アナニアとサッピラは神に打たれたと主張します。本当にそうでしょうか。
     エゼキエル書には、父なる神様の思いが明確に描かれています。
    『悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、私のすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。彼が行ったすべての背きは覚えられることがなく、彼が行った正しいことのゆえに、彼は生きる。私は悪しき者の死を喜ぶだろうか、彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。』と。
     以前ペテロが主イエスに、このように質問したことがありました。
    「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
    主イエスは答えます。
    「私は七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」と。
     結論を言います。この事件は、ペテロの短気な性格から起こった失敗です。聖霊によってアナニアとサッピラの罪が示された時、ペテロは兄弟愛を持って接し、彼らに悔い改めを促すべきでした。その機会さえ与えることなく、即座にペテロは裁いたのです。裁き主は主イエスであるにもかかわらずにです。
     もし主イエスが牧者であったとしたら、どのようにアナニアとサッピラを取り扱ったことでしょう。私は、きっと愛とユーモアを持って、二人を悔い改めに導いたに違いないと思います。
     そして、さらに真実を言いますと、アナニアとサッピラ夫婦のこの罪の為にも、主イエスは十字架に掛かられたのです。》

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