• 日々のみ言葉 2020年9月21日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年9月21日(月)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書5章33節~36節】
    5:33 「さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
    5:34 しかし、私はあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
    5:35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
    5:36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。」

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き「山上の垂訓」からの弟子へのメッセージです。
     同一箇所の現代訳を掲載します。
    『5:33「また、旧約聖書には、『偽りの誓いをしてはいけない。あなたが誓ったことは、必ず主に対して、果たさなければならない。』と記されているのをご存じでしょう。
    5:34 あなたがたは、これも間違って解釈しています。この本当の意味はこうです。主に対する誓いは、すべてのことをご存じの主に対するものですから重大で、いいかげんなことを言ってはなりません。そこで二つのことを覚えて下さい。
    5:35 第一のことは、やたらに誓わない方がよいということです。
    5:36 第二のことは、誓った以上、その誓いの言葉に対して責任を持ち、自分の誠実をかけて果たさなければならないということです。」』

     新改訳よりも現代訳の方が非常に分かりやすくなっています。新改訳では、主イエスの言われた意味は、「決して誓ってはならない」と言うことになります。

     現代訳においては、「やたらに誓わない方がよい」と勧め、しかしもし誓ったのなら、「その誓いの言葉に対して責任を持ち、自分の誠実をかけて果たさなければならない。」と尾山令仁師は訳しています。

     ところで「偽りの誓い」とは何でしょうか。
     まず、決して守ることが出来ないような誓いは、すべて偽りの誓いになってしまいます。そしてもう一つは、もし守れなかったとしたら、つまり誓いを破った時には、その誓いそのものが偽りとなってしまうと言うことです。

     ところで、私たちは、神様の御前で「誓う」ようなことが有りうるのでしょうか。もちろんそれは滅多にはないことです。しかし有るのです。

     まず一つは、多くの人々がその場面を経験する誓いです。すなわち結婚式における新郎・新婦の「聖なる誓い」です。
     この誓いも、離婚すれば、まさしく主イエスが言われる「偽りの誓い」になってしまいます。実際に離婚したカップルは、神様の御前で申し開きをすることになると私は思います。
     そしてもう一つは、牧師任命、伝道師任命の按手礼の時です。この時、任命されるのは、按手を授ける牧師先生たちと共に、その場におられる主イエスです。よって、この誓いは非常に重い誓いと言えるでしょう。
     カトリック教会では「誓い」のことを「誓願」と言っています。》

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