◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月2日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章33節~34節】
6:33「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
◎ショートメッセージ
《現代訳は、
『6:33「ですから、神様のことを、いつも第一にしなさい。そうすれば衣食住は、天にいらっしゃるお父様が必ず面倒を見て下さいます。
6:34こういうわけで、明日のことを心配する必要はありません。いつでもその日その日を精一杯生きればよいのです。」』と訳されています。
主イエスのこの言葉こそが、「山上の垂訓」の結論とも言うべき教えです。新改訳は、「神の国とその義とを」と訳していますが、これは具体的にどういう意味かと言いますと、「神の国」とは、主が天に帰られた時に私たちの為に備えに行かれた場所を指し示します。
そして次に「義」とは、神様側から見た「正しさ」を指し示すのですが、この教えの時には、まだ主イエスは十字架には掛かられていませんので、「永遠のいのち」を指し示すと思われます。
しかし、主イエスは、別な場所において、このようにも教えられました。
『さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカの福音書17:20~17:21)』と。
となりますと、すでに「神の国」は到来していることになるのです。主の霊でもある聖霊は、今、私たちの中に住んでおられます。それゆえに、神の国はもうすでに来ているのです。
現代訳では、一語で「神様」と訳し、「ですから、神様のことを、いつも第一にしなさい」と勧めます。そして、「そうすれば衣食住は、天にいらっしゃるお父様が必ず面倒を見て下さいます」と続くのです。
新改訳の「だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」と言う訳は、意味が通じません。
特に「明日のことは明日が心配する」という表現は日本にはないからです。また「労苦」と言う言葉ですが、その本来の意味は、広辞苑によりますと、『ほねおり。心身を苦しめること。苦労。』と言う意味で、それが毎日、しかも十分にあると言うことは、クリスチャン人生は、苦しみの連続であることになります。
明らかに誤訳です。
確かに、「あなたがたには艱難があります」と、主は言われましたが、そればかりではないのです。恵みと哀れみと神様の愛に満ちあふれた人生こそが、クリスチャンライフなのです。なぜなら、主が共にいて下さるからです。》