◇◆◇日々のみ言葉
2021年3月19日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書11章16節~19節】
11:16「この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、
11:17 こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』
11:18 ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、
11:19 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、主イエスが言われた「バプテスマのヨハネ」についての言及から学びます。今日の聖書箇所は、バプテスマのヨハネが行なった働きについて、主イエスの見解、あるいは考察についてです。
今回も現代訳を掲載します。
現代訳では、
『「この時代は何にたとえたらよいでしょう。それは、子どもたちが市場にすわって、ほかの友だちに呼びかけて、
こう言っているのに似ています。
『笛を吹いてあげたのに、あなたがたは踊らなかった。
弔いの歌を歌ってあげたのに、あなたがたは胸を打たなかった。』
ヨハネが来て、食べもせず飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、私が来て、食べたり飲んだりしていると、『ほら、大食いの大酒飲みで、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。しかし、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」』と訳されています。
この箇所は、当時のイスラエルの子どもたちの遊びを知っていなければ、理解出来ないことです。つまり子どもたちは、広場で二組に分かれて、「結婚ごっこ」と「葬式ごっこ」をやっていたのです。ところが遊び疲れてしまったせいでしょうか、一方の組の子どもたちが、笛を吹いて一生懸命に宴会のまねをしても、もう一方の組の子どもたちは笛に合わせて踊ろうとはしなかったのです。
また、葬式のまねをして弔いの歌を歌っても、それに合わせて悲しむまねをしなかったと言うことなのです。
ここで主イエスは、このたとえを用いて、バプテスマのヨハネが、真の悔い改めを迫っても、主イエスが来て福音を宣べ伝えても、反応しなかった群衆を暗に風刺しているのです。
また群衆が、「バプテスマのヨハネ」のことを、「あれは悪霊につかれている」と言い、そして主ご自身のことを、「食いしんぼうの大酒飲み」と言っていることを指し示し、しかしヨハネと主イエスの「行ない」が、知恵の正しい事を、すなわち神様の正しいことを証明すると言われているのです。》