• 2021年5月9日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章20節~25節】
    21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
    21:21 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
    21:22 イエスはペテロに言われた。「私が来るときまで彼が生きるように、私が望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、私に従いなさい。」
    21:23 それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「私が来るときまで彼が生きるように、私が望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
    21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
    21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。

    ◎メッセージ【この人はどうなのですか】
    《「私の羊を飼いなさい。」と、主は新しい任務をペテロに与えられました。そして新たな預言を与えられます。
    「まことに、あなたに言います。あなたは年をとると、両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
     「両手を伸ばす」と言うことは、「十字架」を意味しています。ヨハネは、『イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現わすかを示すために言われたのである。』と注釈しています。
     この時、主イエスとペテロは、横に並んで歩いていました。すると、後ろからヨハネがついて来るのが分かったのです。そこでペテロは主イエスに質問します。「主よ、この人はどうなのですか。」現代訳聖書では、「この人の最後はどうなるのですか。」となっています。
     以前、ピリポ・カイサリアにおいて、ペテロがメシア告白する場面がありました。その時、主は、「まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、人の子が御国と共に来るのを見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」と預言されました。 この言葉が、ヨハネを誤解することになった伏線になっています。それゆえ、「それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。」わけです。
     やがて数十年が過ぎ、長老ヨハネだけが、主イエスを実際に知る唯一の生き証人となった時、弟子たちから福音書を執筆することを要望され、二世紀前後に完成したわけです。
     おそらくこの時点においても、まだヨハネに対する誤解があった為、この21章が加えられたと思われます。
    『しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではない』と弁明しているわけです。
     さて、ペテロが主イエスに「この人はどうなのですか」と、質問した真意は分かりません。主の答えは、「私が来るときまで彼が生きるように、私が望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言うことでした。
     これは、主イエスとの関係は、あくまで個人的な関係であると言うことです。もちろん私たちは、他人に感心を持つことは非常に大切です。しかし、それは良い意味においてです。 そうではなく、他人と自分を比較したり、はたまた他人を批判したり、裁いたり、そのような悪い動機で人を見るのではなく、主からいただいた溢れんばかりの愛で、主の目線で、人を見る必要があるのです。
     この世界において、あなたと言う存在、私と言う存在は唯一無比な存在です。。みな違うのです。そしてその違いを、主イエス様は丸ごとすべて受け入れて下さり、また愛し、慈しんで下さいます。使徒パウロはこのように勧めています。
    『あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。』と。私たちは、皆、主の一部分なのです。
     そして主イエスはペテロに言われます。「あなたは、私に従いなさい。」と。これこそが、主イエスが、ペテロに、使徒たちに、そして私たち一人一人に望んでおられることなのです。》

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