◇◆◇日々のみ言葉
2021年7月4日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書15章32節~39節】
15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間も私と一緒にいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」
15:33 そこで弟子たちは言った。「このへんぴな所で、こんなに大ぜいの人に、十分食べさせるほどたくさんのパンが、どこから手にはいるでしょう。」
15:34 すると、イエスは彼らに言われた。「どれぐらいパンがありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」
15:35 すると、イエスは群衆に、地面にすわるように命じられた。
15:36 それから、七つのパンと魚とを取り、感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられた。そして、弟子たちは群衆に配った。
15:37 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいあった。
15:38 食べた者は、女と子どもを除いて、男四千人であった。
15:39 それから、イエスは群衆を解散させて舟に乗り、マガダン地方に行かれた。
◎ショートメッセージ
《引き続き「四千人の給食」の奇跡について学んで行きます。明日は先に行きましょう。
何度も言いますが、「五千人の給食」の奇跡は四つの福音書のすべてに書き記されています。それは、間違いなく大切な真理を弟子たちに、そして私たちに教えています。
五千人とは、男性の数だけです。女性と子どもを数に入れますと、少なくとも二万人以上は、その奇跡を体験したと言われています。
そして、それから少し経った後、同じように、おそらく同じ場所において、この「四千人の給食」の奇跡が行なわれたのです。
なぜ、同じ場所だと言えるのしょうか。それは、二万人近くの人々が集まることの出来る場所は、ガリラヤ湖畔にはそれほどないと言えるからです。
この時、弟子たちの手元にあった食料は、七つのパンと魚が少しでした。五千人の給食の時は、少年が持っていたお弁当で、五つのパンと二匹の魚です。これしか無いのです。また、無かったのです。
「五千人の給食」の時も、そして「四千人の給食」の時も、主イエスは群衆を座らせます。そして彼らの見ている前で、パンを裂き、弟子たちにわたし、また魚を裂き、弟子たちにわたして、群衆に配らせるのです。
人々はみな、食べて満腹します。しかも余ります。パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいになったのです。「五千人の給食」の時には、十二かごいっぱいのパンが余りました。
なぜ、この奇跡が二回にわたって行なわれたのでしょうか。群衆の数は違いますが、この奇跡は、紛れもなく弟子たちの為、そしてそれから二千年経た現在の私たちの為でもあるのです。
つまり、主イエスが約束された「山上の垂訓」の教えの実体験なのです。
『「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイの福音書6:31~6:34)』と。》