• 日々のみ言葉 2021年8月22日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年8月22日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書18章11節~13節】
    18:11 〔「人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。」〕
    18:12「あなたがたはどう思いますか。もし、誰かが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
    18:13 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。
     再度、ルカの福音書における同一並行記事を掲載します。

    『さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。
    「この人は、罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする。」
     そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
    「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んで下さい。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカの福音書15:1~15:7)』となっています。

     マタイの福音書では、十二弟子たちに向けて、このたとえは語られましたが、ルカでは群衆に向けて、特にその中に混じっていたパリサイ人や律法学者たちに語られています。今日は、ルカから考えて見たいと思います。

     主イエスは、パリサイ人や律法学者たちがつぶやいた事を、霊の耳によって聞かれました。主イエスは、まことの人でしたが、同時にまことの神様であられます。主の肉体の中に宿っておられる霊こそ、神の御子なる創造主なのです。よって人の心を読み取ることが出来るのです。

    「この人は、罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする。」

     この「罪人」の代表こそ、マタイ(レビ)であり、その弟アルパヨの子ヤコブのことです。彼らはかつて取税人でした。また、群衆の中に取税人が集まっていたと言うことは、彼らは、レビとヤコブの知り合いであったに違いありません。また、遊女もいたと思われます。

     ルカは、マタイに書かれた「九十九匹の羊」のたとえとほぼ同じ内容ですが、教えの対象と、たとえの主人公は違っています。

     「いなくなった一匹の羊」は罪人、すなわち取税人と遊女を指し、悔い改める必要のない九十九匹の羊は、パリサイ人や律法学者たちを指しています。このたとえの主人公、主語は、「悔い改める必要のない九十九匹の羊」にあるのです。
     正確には、悔い改める必要を感じていない、いや悔い改めようとしない、パリサイ人や律法学者たちを指していて、彼らに対する主イエスの皮肉でもあるのです。》

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